日本の住宅の問題点

消費者が安さを求める傾向があるのはなぜでしょうか?

100円ショップの乱立やディスカウントショップ、ネットショッピングで探せば物を安く買えるという傾向はございますが、 100円ショップで買ったもののなかには長く使えるものもございますが、その大半が結局100円なりで壊れるものも多いのではないでしょうか?
100円ショップに一生ものを買いに行こうという気持ちではいきませんよね。そこには間に合わせのものしかないということを知っているからですよね。 

自宅のリフォーム工事も安く、安くと求めるうちに、大切な住宅がそれなりにいじくりまわされてしまいます。 なぜ大切な財産のはずの住宅を大切にしないような行動になるのでしょうか。

イギリスやドイツなどの欧米諸国では、住宅は財産という考えがあり、家にお金をかけるのが当たり前となっております。
なぜなら、買った家は財産として見られており、リフォームして再度販売するときに買ったときに近い金額で売れたり、価値のあるものになると買ったときより高く売れたりすることも珍しくないのです。

なぜ日本の住宅は短い年数で建て替えられてしまうのでしょうか?何世代も受け継ぐために多額の費用をかけてリフォームされないのでしょうか。

ここには日本の住宅の問題が横たわっているのです。

リフォームのチラシが安く、安くとうたわれるようになった背景には、消費者の住宅にお金を使いたくないという心理も絡んでおりまして、日本の住宅の寿命というものが関係してきております。

一般的に戦後の日本の住宅がわずか25年でたちまち腐るといわれています。

イギリスの住宅の寿命は平均141年である。アメリカの住宅でさえ103年です。

各国の住宅耐用年数比較ですが

  • イギリス  →141
  • アメリカ  →103
  • フランス →86
  • ドイツ     →79
  • 日本     →25

飛びぬけて日本の住宅の寿命は短いといわれています。

実は日本の住宅の価格は欧米の2倍するのに、寿命は4分の1なのです。

日本の住宅はローンを払い終わる前に価値0円というかなしい結果を迎えるといわれております。
そのため消費者は価値のないものにお金お払いたくないという気持ちも納得がいく気がします。
本来なら次の世代に残してやりたいはずの財産なのですが、どうしてこんなに寿命が短いのかと不思議です。

なぜそのような事態が起こるのでしょうか。

よく日本は四季があり、湿気があるから日本の家は持たないと言われていますが、それが本当であれば世界最古の木造建築「法隆寺」が1300年存在することと矛盾してしまいます。

なぜ戦後の住宅は同じ木造であるのに寿命はわずか25年といわれるか考えて見ましょう。
かつて日本の民家の寿命は200年、300年は持って当たり前だったのです。

日本の技術には目を見張るものがあり、紙の障子やふすま、畳、無垢の板張り、土壁、漆喰、かやぶきの屋根や瓦、木の加工技術等の伝統技術や素材により支えられていたのです。

これらの天然素材、自然素材の家は呼吸をしていたのです。ところが戦後の住宅はどうでしょうか?新建材といわれる素材が家から湿気を逃がさなく、住宅をカビだらけにしているのです。

住宅を新築するときに、「クロス仕上げにしましょう」と提案されたとしましょう。

「クロス」=「cloth」英語の意味は「布」となりますが実際は違うのです。 「クロス」は「塩化ビニールクロス」の略なのです。壁紙は「クロス」と呼ばれ、「布」と思いきや実際の素材はビニールなのです。戦後の日本の住宅の95パーセントは塩化ビニールクロスで作られているのです。
壁紙なのに「クロス」と呼ばれ、その実態は塩化ビニールというなんとも不思議な実態です。

このクロスが湿気を逃がさず、建物にカビを発生させているのです。

戦後このビニールとう素材は安価で一見「便利な」生活を支えていたのも事実です。しかしこのビニールが室内を密閉し、壁の中に結露を生みます。
結露は冬に外は寒く中は暖かい状態で窓ガラスにできると御思いでしょうが、夏は室内をエアコンで冷やして、室外は灼熱で、冬とは逆のことが壁の中で起きているのです。
壁の中には、建物の主要な柱や構造物がたくさんあるのですがそれが、結露により湿気を帯び、カビを生やし、シロアリを呼んだり、腐敗菌を増殖させたりするのです

気持ちの裏のカラクリ

一生懸命に勤め上げてきてローンを払い、定年間際に終わるローンと価値のない家、リフォームをするか退職金を使って新築をするかを迷われる気持ちもわかりますが、資源の少ない日本、地球温暖化や環境問題の深刻な地球を守るために、ものを大切にしていただきたいものです。消費者は日本の住宅の寿命が短く25年で価値がないといわれ、たちまち腐っていくために、安く上げたいと思う気持ちの裏には、このようなカラクリがあったのです。